PROFILE
名前 クラゴン
所属 クラゴン部屋
役職 親方
生年月日 不明
身長体重 身長57m 体重550t
握力 右65kg 左75kg
背筋力 200kgオーバー
視力 3.5(心眼使用時:推定)
語学 日本語、英語、ドイツ語、東北弁
ライセンス
四輪 国際C
カート 国内A
レース歴 18年
マイカー ・4ドアインテR
・クラゴン部屋ロードスター
・S2000
・タミヤ ホーネット
好きなハンドリング チリバツ
好きな飛行機 零戦、クフィール、散花マークB
好きなサーキット ニュルブルクリンク、SUGO、鈴鹿、リンクサーキット
好きな肉
主な経歴
1993年 タミヤグランプリin青山 ジュニアクラスシリーズ2位
1994年 タミヤグランプリin青山 セニアクラスシリーズ2位
1995年 レーシングカート購入&レーシングファクトリーアオヤマ加入(強制)
1998年 ミラージュ東北シリーズ参戦 99年シリーズ4位、2000年シリーズ2位
2001年 ミラージュ東北シリーズチャンピオン(6戦4勝 4回ポールポジション ファステストラップ3回)
2002年 シビック東北シリーズチャンピオン(5戦1勝 1回ポールポジション ファステストラップ3回 全レース表彰台)
2003年 スーパー耐久シリーズ 予選初アタックポールポジション SPOON S2000
2004年 スーパー耐久シリーズ 十勝24時間レース3位 KUMHO ECSTA S2000
2005年 ■ニュルブルクリンク24時間レース SP1クラス4位
スーパー耐久シリーズ 十勝24時間レース3位 PERSON'S NSX
インターナショナル鈴鹿1000km クラス4位 PERSON’S S2000
2006年 ■ニュルブルクリンク24時間レース SP1クラス3位
Tschornia Motorsports Suzuki Swift
スーパー耐久シリーズ 十勝24時間レース2位 Sequentiol S2000
2007年 ■ニュルブルクリンク24時間レース V2クラス参戦
Fleper Motorsport Honda EURO CIVIC 1.8sport
2008年 ■ニュルブルクリンク24時間レース SP4クラス準優勝
Fleper Motorsport Honda EURO CIVIC 2.2LEvolution
■ニュルブルクリンクVLNシリーズ第8戦 SP6クラス参戦
Tschornia Motorsport BMW M3 WTCC
2009年 ■ニュルブルクリンク24時間レース SP3クラス6位
Mathol Racing Honda EURO CIVIC TYPE R
■ニュルブルクリンクVLNシリーズ最終戦 SP4クラス参戦
Team Schmersal Honda S2000
2010年 ■ニュルブルクリンク24時間レース SP3クラス6位
Fleper Motorsport Renault Clio RS
■ニュルブルクリンクVLNシリーズ第7戦 CUP2クラス10位
Team Schmersal PORSCHE GT3 CUP CAR
2011年 ■ニュルブルクリンクVLNシリーズ第6戦 SP7クラス準優勝
Team Schmersal PORSCHE GT3 SP
2012年 ■ニュルブルクリンクVLNシリーズ第4戦 SP4Tクラス優勝
Raeder Motorsports Audi works TT-RS
2013年 ■ニュルブルクリンクVLNシリーズ第6戦 SP3Tクラス4位 総合35位
Team Schmersal Audi TT-RS 2.0
2014年 ■ニュルブルクリンクVLNシリーズ第7戦 SP9クラス6位 総合18位
Team Car Collection Mercedes SLS GT3

クルマ好きになった瞬間がないほど、物心ついたときからクルマ好き。毎年誕生日にはラジコンを買ってもらっていた。

免許を取れないからラジコンのはずだったのに、近所のデパートのイベント広場で出た初レースでなぜか速くて、そこから長く苦しいレースの道へ。確か中学1年生だったかな。その後は細々とラジコンのレースをやりつつ、レーシングカートをはじめるタイミングを虎視眈々と狙う。学歴=人間だと思っていた親はカートに大反対で大変でした。聞くから反対されることに気付いて、高校2年生の終わりに黙ってレーシングカートを購入。自分の人生に親の許可が必要なことなんぞ、ひとつもないんじゃー。

その後、M字大学付属というメリットを活かして、最低限の勉強で親の希望のM字大学に入学。一生ぶんの親孝行を完遂し、レース全開生活に入る。

カート時代はRFアオヤマに所属して、レースとは理不尽だということを教わり、ミラージュ東北〜シビック東北時代はカーメンテナンススカットの本郷さんの下で、やっぱりレースは理不尽だと教わる。世の中は理不尽だと早く教えてやって、その上で残るヤツには才能があるといえるでしょう。東北人オトコ伝説が誕生するほどハードなレース生活で、あそこまで大変だと知っていたら絶対にレースをやっていなかったし、当時なぜあそこまでやれたのかもわからない。若さゆえのあやまち。

今思えば、何も知らない頃に正しく間違えられたという意味で、確実に才能があったと思う。

ミラージュ東北は4年もやって、本郷さんの「今年チャンピオン獲れなかったレースやめさせっから」のプレッシャーでチャンピオンを獲得。カートをはじめてから6年、初優勝&初チャンピオンだった。一方、シビック東北は悪の限りを尽くして初年度にチャンピオンを獲得。カテゴリーを越えて、2年連続チャンピオンを獲得した。

2003年からは念願の全国区レース、スーパー耐久シリーズに参戦。ラスト2戦にピストン西沢氏とスプーンS2000で参戦するというチャンスを得た。本来どう考えてもオレのところに転がってくる話じゃないのに、これもご縁というものでしょうかね。ピストン兄貴、市嶋さん、そして本郷さん、その節は本当にありがとうございました。

そして2004年に8年通ったM字大学を無事卒業。すっかり就職活動を忘れていたので、「ドラテク鍛錬場クラゴン部屋」を開場。当時の無線は6個。細かいのを入れても投資額は確か5万円。これで赤字ならやめればいいと思っていた。「3回赤字だったら撤収」はこのとき考えたことで、今でも変わりません。

レースの一大転機は2005年のニュルブルクリンク24時間レース参戦。某塾の事務局長がヴィッツで無謀なチャレンジに出るところを、宇宙の意思に従って参戦決定。レース前の話と違う事態が次々と襲いかかる最低の体制だったが、ドライバー、メカニック、ヘルパーまで含めてチーム全員のパッションで4位完走を果たした。車検には通るかどうか、スペアパーツはほとんどないマシンで。レースストラテジーを考え、24時間中実に10時間近くも乗り、もうヴィッツには一生ぶん乗ったと思う。

2006年にはヴィッツの仲間といっしょに、2005年混乱の極みにあった我々に声をかけてきた奇特なドイツ人・ユーゲン君と初のドイツチームであるチョーニアモータースポーツへ。スタートドライバーを担当し、クラス上のマシンをブチ抜いたのがたまたま周回遅れになるときで、トップのマンタイポルシェの車載でドイツ全土に中継されたらしい。チョーニア氏に「120馬力のマシンで160馬力のドライビングだ!」と絶賛された。

2007年には日本人チームを離れてフレパーモータースポーツへ。ヴィッツで共に戦った仲間と離れるのは残念だったが、より速いチームメイトを求めるのもレースのうち。「オマエは速いドライバーなんだから、もっといいチームへ行け」というチョーニア氏とユーゲン君の計らいもあった。単独殴りこみ体制スタート。

2008年、フレパーモータースポーツの2.2Lスーパーシビック(自称)で、SP4クラス準優勝を獲得して、レーシングドライバーとしての目標達成。いや個人でレースやってきて、ニュルのトロフィーもらったら、そらもう100点満点ですよ。と思っていたら、2009年のVLN最終戦、シュミャーザルのS2000でチームメイトを完全にブッ殺したのを契機に、2010年のVLNではポルシェGT3で参戦決定!

レースをやるところからつまずいてたのに、ニュルブルクリンクでポルシェに乗る人生になるとは思ってなかったなぁ。ニュルが最高峰なら、そこでポルシェに乗るのも最高峰。そういうのは無理だと思ってたんだけど。またタイムを出しすぎて、予選アタッカーをやり、さんざん断ったのにスタートドライバーまでやらされてもう最悪。ニュルのトップ50台なんてまさに百鬼夜行の世界だから。ちなみにそのトップ50のタイムを予選で出したのはオレ。

2011年のVLNは、同じポルシェをちょっとだけモディファイして、SP7クラスに参戦した。SP7といえば、少し前のニュルの最強クラス。同年の24時間レースで勝ったのはSP7のマンタイ号だし、VLNはそのライバル車がいるわけで、他のクラスとは勝負のレベルが違う。事前の予想では、とりあえず目標はクラス10位以内。最大に上手くいってクラス6位だった。

ゲリラ豪雨〜快晴と目まぐるしく変化する天候に、完全なる彼岸へと昇華したニュル。いつ誰が死んでもおかしくないコンディションだったが、最悪でもちょっと死ぬくらいだから大丈夫。ちょっと死ぬほど痛そうだけど。2010年にお彼岸ドライヴを身に付けていなければ、危ないところだった。制限いっぱいの2時間20分のロングスティントで、ドライバー交代までにクラス2位に浮上。SP7でクラス2位は完全にチビりそうだったが、ミスタームーアはすでに失禁ジャージャー状態だったので問題なし。SP7で準優勝は日本人としては最高記録のはずだが、興味がないので調べてない。

こんなハードなプレイという名の犠牲の上に、クラゴン部屋が成り立っているわけですよ(笑)。

踏みが甘いヤツが何言ったって説得力ないし、危ない目に遭ってないヤツが安全について説明できるとも思わない。人に何かを伝えるには、まず自分が実践者になってナンボ。それはレースでもクラゴン部屋でも変わらない、クラゴンの基本姿勢です。

 



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