2007ニュルレポート part1


2005年の十勝と鈴鹿1000kmと、2006年のニュルと十勝をスッ飛ばして、2007年のニュルレポートです。もうよく覚えてない…っていうのはウソで、過去を振り返らないオトコだから。ってわけでもなくて、2007年のニュルが超絶面白かったんですよ。

いつもみたいに気合を入れすぎると進まないから、とりあえず書く! ということでひとつよろしく。
S耐マシン最後の鈴鹿1000kmでした
2006年ニュルも波乱万丈で面白かったし、2005年の鈴鹿1000kmは、ヘアピン立ち上がりで毎周旗を振ってる人がいて、最初はオレだけに振ってたんじゃなかったと思うだけど、気付いて手を振り返したらすげー喜んでくれて、ってゆーか前見て走れっていう気もしますが(笑)。

あんまり喜んでるから、知ってる人かな〜と思いつつ、その先は前を見ないとマッチャンコーナーでオトコになってしまうので、誰だったかは未確認でした。

わざわざ2008年に書くことじゃないけど、こういうのが面白くなきゃレースの魅力は半減、いや全減だとオレは思ってます。

そんな話を始めるとまた進まないから、ニュルの話に戻りましょう。ニュルDVDをご覧いただいたみなさんはご存じのやうに、2006年の超サバイバルニュルを生き残った結果、2007年の展望が思ったよりもバッチリOKなカタチで開けたわけです。

こないだ久しぶりに見たけど、あのDVDはよく出来てます。しかも同じ映像を写真と映像でおさえてるんだから。どうやって撮影したんだあの時のオレ。エンディングの音楽の入り方も秀逸で、どっちかというと作った苦労をすっかり忘れた今の方が見て感動できまふ。去年のをアレ以上にする自信がまるでないんですけど(笑)。

それはいいとして、2007年のニュルは、実は2006年と同じ体制で行くのが第一希望でした。

2006年ニュルはスイフトという名のカルタスでクラス3位!なんといっても、外国で外人とレースをするのってすんげー大変だから、せめて2006年に知り合ったチームで、同じレースを戦った仲間でやりたかったんです。そしたらちょうどいいことに(?)ドライバーの数が合わなくて、そこで2006年いっしょに走ったユーゲンが「お前は速いんだから、もっと速いマシンに乗るべきだ」と、2007年乗ることになったフレパーモータースポーツにプッシュしてくれたのですよ。

ヤツのサポートなしで、2007年のニュルはなかったでしょう。

気持ちとしては、速いマシンの乗れる嬉しさ20%、去年の仲間といっしょに走れなくて残念20%、ひとりでドイツチームに入る不安60%、それでも自信は波動法充填120%ってカンジでした。フレパーに入れたのは、チームトータルとしての結果ももちろんだけど、オレのタイムとか安定度とか、第1スティントでエンジン不調をガス欠だと見破った判断力とか、オレ自身の評価の結果だから。

もう出した結果について評価してもらえるなら、思いっきりそこに乗っかっていくのが正しいレーサーの道です(笑)。

そんな流れで、ドイツ一人旅決定!!

某所長が引率する観戦ツアーが到着するまで、だけどね。




ニュル参戦の第一関門が飛行機。毎年書いてるけど今年も書いてやるぜ!

しかも今年は何の因果かJ○Lになってしまったので、不安ドキドキでした。実際、観戦ツアーのみなさんの便は出発ディレイの挙句、機体交換でTカー登場だったそうです。

そうそう、去年は荷物の重量で大変なことになったんですよ。今年は預ける荷物はリミットいっぱいの20キロにして、小分けしたカバンで撮影機材からヘルメットからレーシングスーツから、みんな機内に持ち込んでやりました。

飛行機はちょっとイスが小さかったことと、前の座席のオッサンがこぼした水がオレのカバンにかかって、しかもそれをスッチャデスのおねーさんに放置プレイされたこと以外は順調そのもの。無事フランクフルト空港に到着しました。

そしたら飛行機を降りたところでD−Rightsの大井さんに、荷物が出てくるとこで星野(一樹)に遭遇。みんな同じ飛行機だったのね。星野はみなさんご存じの星野一樹選手で、中学〜高校で同級生だったからいまだに「星野」と呼んでしまいます。学生時代よりも今のほうが縁があるな。

星野「こんなとこでどーしたの?」 オレ「もち24時間」 星野「マジ?どこで乗るの」 オレ「こっちのフレパーモータースポーツってとこのシビック」 星野「ひとりで来たの? すげーじゃん!」 オレ「まあな(ニヤリ)」

とかいって、ちゃんとコーディネーターさんがいる星野の御一行と、レンタカーの受付から現地への運転&ナビまで全部ひとりでやるオレとは雲泥の差(笑)。

無事にレンタカーも借りて、一路ニュル…じゃなくてニュルの近くのホテルへ!



写真まで撮って、ひとりの割には余裕あるな。右の写真は観光地でコブレンツの川。興味がないからよく知りません。

道は当然アウトバーンなんだけど、今はどんどん速度無制限区間が少なくなってるのと、速度表示がけっこうこまめに変化するので、時速100km〜120kmでマッタリと移動です。それにしてもドイツの道はわかりやすいぜ。やっぱりクルマ文化が発達してるというか、文化といっしょに道路が発達したというか、クルマですごしやすいようになってる。

日本から見るとクルマってやっぱり異文化なんだよなあ。無茶な速度制限なんかは、異文化に対する拒否反応だとしか思えねーし。


ここで問題が発生しました。

ニュル近辺まで来たのはいいんだけど、ホテルの場所がわからん!! 住所はわかるのに、どー見てもホテルらしい建物が………ない。しかも日本から持ってきたド○モの海外用携帯は完全に圏外。今年の携帯がハズレだったのか、とにかく携帯不通には悩まされました。海外でメールを使えるってだけでド○モにしてやってるのに、ふざけとるね。

使い道の全くない携帯をあきらめて、ホテルを自力のセブンセンシズに頼って捜索することに。

村の名前と住所で探してもダメ。近くにはあるはずなんだけど、な〜んでか見つかりません。そもそも日本みたいに住所を書いてある電柱とかがねーし、聞こうにも人っこひとりいなかったりして。

ふと気付いて、ユーゲンが送ってくれたグーグルアースの写真を見ると…あったああアアアアアア!!

途中で通り過ぎたこんな建物でした。



キミにはコレがホテルに見えるか! オレには見えない!

向こうには1階がレストランで2階がホテルっていうのが多いみたいで、オレの目的地もそのような雰囲気でした。でも安心するのはまだ早い。夜も更けて飲んだくれたオッサンが巣食うレストラン(場末の酒場にしか見えなかったけど)にヤーパン(日本人)が単身で突入するのは、なかなかの根性が必要です。

「ナーベン! イッヒハイスクラゴン デア ヤパーナー イングリッシュOK? 」
「OK」
「You heard about me from Juergen Bussmann. Weren't you?」
「Yes, you can stay host family house near here.Master of the host family will come to pick you up soon.」

よっしゃー! 英語通じたー!

訳すと「オレの名前はクラゴン、日本人だ。英語ダイジョブ?」「ユーゲンさんから聞いてるよね」「聞いてるよ。ここの部屋じゃなくて近くのホストファミリーだ。そこのオヤジがすぐ迎えに来るから」という雰囲気でした。待ってる間、飲んだくれオヤジの視線を浴びながらコーラを飲み、ほどなく迎えに来てくれたホストファミリーのオヤジに荷物を持ってもらって部屋に向かいました。向こうじゃ空いてる部屋を貸すのは普通みたいで、たぶん今回もホテル(にゃ見えないけど)に連絡が行って、満室だったから提携してる近くのホストファミリーを紹介してくれた、という流れでしょう。

そこの主人は英語ペラペラ&フレンドリーだったんだけど、奥さんは外人(オレのことね)ってことで言葉が通じるかどうか不安バリバリ。会って「Nice to meet you」と言ったときの安心した顔が忘れられません(笑)。オレだって不安だけど、そりゃ向こうだって不安だよね。

もしホテルにたどり着けなかったとしても、最悪で翌日のニューカマートレーニングでユーゲンに会う予定だったし、何が何でもサーキットまで行ければ、大勢に影響はない。レースしに行ってるんだからね。とはいえ、温かいシャワーとベッドがあるのはいいね。こんなにありがたいものだとは思わなかったな。

オレもまだまだだったぜ、というところでpart2へ。



part2⇔