思ひ出のマシンはありますか?



先日、あるイベントを観に筑波サーキットに行って来ました。

ターゲットはSTPタイサンGT−R。

1993年に終わったGr.Aを代表するマシンであり、僕がハコ乗りになる原動力となったのが、このスカイラインGT−R、Gr.A仕様のマシンです。

当時僕は中学生。中嶋悟選手の引退後だったこともありF1はもちろん観てましたが、すでにタミヤグランプリのジュニアクラスでブイブイ言わせていたり、どーやって親を騙してレーシングカートを始めるかを考えたりする、
ごく普通の少年でした。

そんなとき、ちょっとマニアな友人に誘われて、筑波のGr.Aを観戦に行ってしまったのが間違いの始まりです。


ぐわっ!カッコ良すぎる!


目の前をカッ飛んでいくスカイラインGT−Rや、シビックのカッコイイこと!

BMWはよく覚えてません。中谷さんゴメンナサイ(笑)。

エアロパーツは禁止だし車高だってそんなに低くなかったから、余計にその速さが衝撃的でした。

特に富士のストレートで見るGT−Rは圧巻! エアロパーツがなくて空気抵抗が少ないぶん、メチャメチャ速かった!

それまで好きだったF1がどこかにスッポーンと(笑)飛んでいって、
「オレは絶対ハコ乗りになる!!」と決めたのはそのときです。

その年は最終戦の富士にも電車で出動し、Gr.Aの終焉を見届けた9万5000人のうちのひとりになってました。もちろんモンツァ会の柘植会長もそのうちのひとりだったそうです。

前座でAE101(レビン・トレノ)のワンメイクレースがあり、「何でアイツラがレースに出られてオレが出られないんだ!」と悔しがったのを今でも覚えてます。中学生なので
免許がないからですが。

17歳でレーシングカートを始めてからも「将来は絶対ハコ!」と決めてました。カート乗りはフォーミュラにステップアップする人がほとんどなんだけど、Fポンが……だし、カート⇒フォーミュラの路線に縛られなかったのが良かったんでしょうね。

どうやってハコに乗るようになったかは、いつか書く気になったときに。リクエストがあれば書こうかな。

Gr.Aに出るチャンスは絶対に来ないけど、1回でいいから乗ってみたいな。



あなたには 思い出のマシンは ありますか ?





Gr.A最終戦 オイルスモークを吹きながらトップ独走、そしてリタイヤ! まさにオトコ!
ピットのせまい筑波ならでは Gr.Aの牽引姿です。
650馬力 300km/hオーバー!
Gr.Aといえば『青鬼』カルソニック! そしてオトコといえば星野一義選手!
出光号もなつかしいなあ。 このシビックがまたイイ音してたんだ。


これは93年当時、僕が撮った写真です。

レンズ付きフィルムで撮ったので、まあこんなもんでしょう。「Gr.A最後のレースなのにいいカメラを持っていなかった」ということが、今のカメラマン生活に大きく影響してたりして。

メーカー系イベントで走ってるのを見る機会もあるけど、レーシングカーはレースで光る!

フィルムスキャナを買ったので、いっぱい載せてみました。


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